石橋犀水書簡展
犀水書簡展の全展示書簡を収録した『石橋犀水書簡集』が11月上旬に刊行されます。
11月10日までにご予約いただいた方には、予約特別価格8,000円で頒布いたします。
詳細は以下を御覧ください。
書簡集発行にあたり不二誌12月号に掲載された
『犀水書簡展からの一通』も掲載いたします。
石橋犀水書簡集
犀水書簡展からの一通
「書勢」発刊(日下部鳴鶴主幹)と購読のすすめ
- 宛先:
- 石橋犀水
- 差出人:
- 西川鐵五郎
- 日付:
- 大正8年(1917)6月16日
読み
近日秋氣相催候折柄益御多祥之段奉賀候
次に當方老母久敷病氣尓て臥辱致し大に相困り
申候 然し最早漸次快方尓相向申候間御安神
被下度候 叉手今般日下部鳴鶴先生を
会頭とし大同書道会を起し雑誌「書勢」を
發行する事に相成り居候 これは筆之友等より
一層價値あり権威あるものと相信じ
申候ニ付後日筆之友ハ御退会相成り候とも
此方へ御入会被成度切に御勧め申し上候
否や此状着次第御一報被下度願上候 但し会費ハ
毎月参拾銭 半ケ年前納一円七十銭
一ケ年前納三円三十銭
読み下し
近日秋気相い催し候(そうろう)折(お)り柄 ますますご多祥(たしょう)の段(だん)賀(が)し奉(たてまつ)り候
次に当方老母久しく病気にて臥辱(がじょく)(褥(しとね)に臥(ふ)す、病気で床に伏せる)致し大(おお)いに相い困り
申し候 しかし 最早(もはや)漸次(ぜんじ)快方(かいほう)に相い向かい申し候(そうろう)間(あいだ) ご安心
くだされ度(た)く候(そうろう) さて今般日下部鳴鶴先生を
会頭とし 大同書道会を起こし 雑誌「書勢(しょせい)」を
発行する事に相成(あいな)り居(お)り候(そうろう) これは「筆之友(ふでのとも)」等より
一層価値あり権威あるものと相い信じ
申し候に付き 後日 筆之友はご退会相成(あいな)り候とも
此方(こちら)へご入会なされ度(た)く 切(せつ)にお勧め申し上げ候
此状(このじょう)着き次第
否や ご一報くだされ度(た)く願い上げ候 但(ただ)し会費は
毎月参拾銭(さんじゅっせん) 半ケ年前納一円七十銭
一ケ年前納三円三十銭
解説
日本の葉書の表書き、この日常の書にも「美」が求められている。筆耕屋さんの書くあの案内状の表書きなどは重苦しいばかりか、押しつけがましくていけない。さて、この葉書では、差出人を見ても 西川 鐵 五郎 と三つの塊に見せている。あゝ西川先生からのお葉書だと感じて犀水はこれを受けとるのである。
文面に目を転じると内容が凄い。鳴鶴先生が大同書会を興して雑誌『書勢』を発刊すると宣言されたのが鳴鶴先生の八十寿の宴であったが、その『書勢』発行の有様がここに見て取れるのである。
しかも『筆の友』を止めて『書勢』を購読しなさいとの明確な指針を示した勧誘の文なのである。ここに師として、文人としての使命感が窺われる。
そこで文字を見ると、常用漢字体が間々見られる。「会」「勧」「円」などがそれであり、実用文では八釜しい事を言わず、これだけの教養人が率先して略字の使用に範を垂れて、書き文字の合理性と美を主張していたと見ることが出来る。ここにこそ書き文字に命が宿るのである。
考えさせられた箇所は、終わりから五行目の「候とも」これを、始めは「候えども」と読んで通じず、最後に直した。また、終わりから三行目「否や」の意味を、これも「この状着き次第否や」と読んだが、妥当とせず「そうするかどうか」の意にした。今の出欠ハガキの「諾」と「否」と似通った解釈をした。
なお、書簡集の編纂に当たっては、西川先生の経歴の記録が乏しく捜しあぐねたが、犀水は、昭和十六年に萱南先生顕彰碑の建設の会を興し、建碑協力者には『槿域遊草』なる先生の朝鮮遊行中の自筆漢詩集を出版して、それを記念品として贈っている。その『槿域遊草』が、神田の書店の棚にあったのである。何という出逢いであろう。しかもその冒頭に先生のお写真と略歴が記されていた。
今回の書簡集に、萱南西川鐵五郎先生の肖像写真を掲載できたのも、この本あってのことだった。
私にも萱南先生の思い出がある。近くの大和町の啓明小学校の脇にお宅があって、時々お使いに行かされていた。先生は酔って我が家の二階の階段から一気に落下されたことがあった。そしてピョコリ立ち上がって居られた。仙人のような方だと思ったものだ。
兎に角、威厳に充ちた超人的な先生であった。犀水の書簡体と書の原点は、この萱南先生の指南による。犀水が『犀水書話』で、書道上達の秘訣に「師を選べ」と言っているが、こうした先生の教示のお姿と自らの体験の上に立つものであったのだろう。
書簡集を編み終えて今にして分かるのである。
石橋 鯉城